まるで瀕死の魚にも似た、唇の動き。それに気づいたシゲンの腕が、救い上げるようにシエラの背を抱き上げた。
 その、今までにない優しい動きに、ゆるりと瞼が開く。といかけるような瞳が姿をあらわし、自身の肉体を支える彼を、夢のように見つめた。
 焦点の合わない瞳の色が、映された彼を不安にさせる。
 気づいているだろうか。その瞳が、彼以外の何者も映さず、また認識していないことを。

「シエラ」

 呼びかける。二度、三度。水滴を払うように瞳をしばたたかせ、瞳は呼びかけに応じた。
 瞬間、たまらない気持ちに肩をすがめ、いっそうきつく、その身体を抱きしめる。
 力を失ったからだを片腕で支え、もう片方の腕で、乱れてはりついた髪を梳いてやると、かくりと首をたれ、行きも整わずに、肩にもたれかかってきた。

「大丈夫か」

 髪から頬、首、鎖骨、肩。ずっと緩慢な動きで手を滑らせる。汗を含んだ感触も、もうずいぶんと馴染んだもので。
 肌の感触がとても好きだった。
 くずれるように頷くのを。大事そうに横たえる。夕べつけた痕は、紫色になっており、さきほどのものはまだ赤く、白い肌に印を残している。
 自分も隣に寝転び、間近から表情をとらえようとした。再び閉じられた瞼の、前髪につけられた影、睫毛はとても長く、青ざめているような月をうつして、肌の白も増す。わずかに開かれている唇の、やわらかな色。
 その柔らかさを、見るだけでは足りずに指で触れてみた。呼吸と肌の、常ならぬ熱さ。自身の指よりも熱い。
 下唇をまずたどり、端から上唇をなぞる。されるまま、動きも無いそれに物足りなくなり、かぶさるように口つけた。首を少し傾けて、浅いキスを何度も繰り返す。触れている熱さよりも、離れる瞬間の、呼吸がより深い甘美を与えるようだ。
 抱き寄せてみれば、先ほどの熱も引き始めたのだろうか。いつものように、自身の身体のほうが体温の高いことに気づく。
 もう一度、ゆっくり身体を乗り出して、目をあけたまま口づける。一度触れて、すぐに離す。腕を絡め、視線が触れ、もう一度。
 何度目かの深いキス。シゲンは滅多に、行為の最中以外には、深いキスをしない。軽く、何度も触れる浅い口づけのほうが、ずっと多かった。だから、こんな風に、何かの折の、深いキスは、いつも言葉の代わりだった。言ってやりたいことを一番乗ずに伝える言葉は、声を伴わない。
 心をくらりとさせるほどの、熱が流れ込む。しだいしだいに、シエラの身体から力がぬけていき、するりと崩れそうになるのを、丁度のタイミングでシゲンが抱き寄せる。
 口づけは、ひどく濃く、長く、甘い。





静かな大人カップルの話を目指し、挫折しました(2006 August)