その日、ホームズは怒っていた。ーー別に何も珍しいことではないが。

「……ホームズ、どうしたんだ? カトリは?」

 通りすがりに尋ねたリュナンは、全く理不尽な怒りの対象となった。
 ひどいじゃないか。勝手にしろ、僕はもう知らない。と、船倉へ降りて行くリュナンの背に、ホームズはふんと不機嫌なあしらいを投げつける。

 ひでぇのはお前のほうだ。人の不機嫌の核心を突きやがって……。

 そう、ホームズの不機嫌の理由は、彼が朝から一人であること。平たく言えば、カトリがいないのである。
 アシカ号は今、とある港に停泊している。修理する場所もないし、買い出しも済んだ。となれば、いい風が吹いて出航できるようになるまで、乗組員は何をしようと自由。ホームズはさりげなくカトリに迫った。カトリはいつも、何のかんのと口では嫌がるが、本気で拒まれたことは一度もなかった。
 だから、昨晩もカトリが拒絶の意を表したからといって、手をひっこめるつもりはさらさらなかった。
 しかし。
 カトリは拒んだ。それもひどく教皇に。押して駄目なら引いてみろ、で、ホームズは無い知恵を絞って口説いてみたのだが。

「いや」

 カトリはきっぱりとそう言ったきり、全く無視。
 こうなったのでは、普段めったに言わない最後の切り札を使うしかない。

「……好きだぞ」

 反応は割とよかった。カトリは一瞬困ったように、どうしようかなぁという顔をした。
 ホームズはしめたと思い、手は早速行動に移っていた。
 だが、その手がやんわりと弾かれた。

「今日は嫌なの」

 そう言って、茫然としているホ−ムズを置き去りに、カトリはさっさとベッドに入ってしまったのだ。

 なぜだ?
 つまり、ホームズはふられたのだった。さすがにショックから立ち直れず、これ以上のダメージを受けたらかなり悲しいので、すごすごと自分のベッドで一夜をあかしたのだが。
 なんと、目がさめた時、隣のベッドは空っぽだったのだ。
 ちょっと待て、おい。
 今までどんなに喧嘩をしても、カトリが行く先も知らせずにどこかへ出かけたことはない。
 ので、ホームズはとりあえず一時間ほど待ってみた。しかし扉は開かない。声も聞こえてこない。しかたなく起き上がって、その時気づいた。室内履きはあるのに、外履きがない。
 つまり、カトリは船の外だ。
 
 これが怒らずにいられようか。自分勝手な理由だと言われようが。
 不機嫌を絵に描いたような顔をして食堂へ行き、一人で朝食をとる。リュナンは当然声をかけないし、エンテやシエラも同様だった。誰一人、彼の側に寄りつかない。
 食器とスプーンの触れ合う音の他は、なにひとつ聞こえない。しんと静まり返った中、食べるだけ食べて、ホームズは席を立って部屋へ戻る。
 頭の中はカトリのことだけが占めているので、もう一人、姿の見えない人物がいることに彼は気づかない。
 そして、ちらりと、綺麗に整えられているカトリのベッドに目をやり、いっそうふてくされて、布団をかぶって寝てしまった。
 カトリのベッドで、である。
 起きていたら、どんどん腹が立つ。おまけに頭を使い過ぎて疲れる。こんな理不尽な目に合わされるような覚えは全くないので、ホームズにはカトリの気持ちが分からない。

 なんなんだよ……一体。

 はああ、っと大きなためいき。
 それでも、ホームズの寝つきはたいへんよろしかった。



つづく



エンディング後のハネムーン航海中のドタバタになる予定です(2006 August)